商号合資会社 アオヤマ
創業設立1958年 (S33) 9月30日
資本金¥7,000,000-
代表者代表社員 青山 剛 (あおやま たけし)
従業員数8名
事業内容スポーツ用品の販売
テニスコートおよびグラウンドの設計施工【県知事(般28)19207号】
テニススクールの経営
浜松市テニス協会事務局
浜松市ソフトテニス協会事務局
浜松市山岳協会事務局
浜松市スキー協会事務局
所在地静岡県浜松市中央区肴町316-2
TEL:053-454-9148 FAX:053-454-0448
売上¥600,000,000- (R4)
取引銀行静岡銀行|浜松磐田信用金庫|三菱UFJ銀行 他
登録番号T1080403000019(適格請求書発行事業者)
取引先GreenSet|Barcelona Spain
ヨネックス株式会社
グローブライド株式会社
アメアスポーツジャパン株式会社
バボラVSジャパン株式会社
株式会社ラコステジャパン
ミズノ株式会社
株式会社ヘッドジャパン
株式会社ゴーセン
株式会社ダンロップスポーツマーケティング
株式会社トアルソン
株式会社キモニー
株式会社ルーセント
ZET株式会社
株式会社ルイ高
TOKYO UNDERGROUND TENNIS CLUB

アオヤマの歴史

1958

(昭和33年)

始まりの時

合資会社アオヤマ起業

軟式テニスにて、アジア大会優勝、インターカレッジ優勝、天皇杯準優勝などの戦績を持ち、日本のテニス界に精通していた青山 勝(まさる)が、地元浜松にスポーツの魅力を普及する為、浜松で一番活気に溢れていた肴町商店街に「スポーツ用品の店 アオヤマ」を起業。時を同じくして、テニスを通じて結ばれた皇太子殿下と美智子様の婚約が国民の共感を呼びテニスブームが到来。東京タワー竣工、スバル360発売、コカ・コーラ日本発売など、時は高度経済成長期の始まり。まさに映画「三丁目の夕日」のような日本中が夢に溢れている時代の中でアオヤマは歩み始める。

1964

(昭和39年)

あるべき姿の為に

1964東京オリンピック

テニスは「ウインブルドン」がアマチュア大会であった為、東京オリンピックでは正式競技として採用されていない。翌大会から公開競技となり、ソウル(1988)から正式競技として採用され現在に至る。この頃にアオヤマは、オリンピック理念「スポーツを通して心身を向上させ、さらには文化・国籍など様々な差異を超えていく」に共鳴し、あるべきスポーツの姿を具現化する為、現在の日本テニス協会(JTA)、日本ソフトテニス連盟(JSTA)、全日本スキー連盟(SAJ)、日本ゴルフ協会(JGA)、日本山岳スポーツクライミング協会(JMSCA)の下部団体事務局を受け持ち、地方でのスポーツ振興に力を注いでいる。

1975

(昭和50年)

世界との繋がり

YAMAHAとのラケット開発

ボートなどで培ったFRP成形技術を活かしてスキー板などスポーツ事業を展開していた地元企業YAMAHAにて、プロテニスプレーヤー小杉貞夫(全日本混合優勝、日本ランキング最高3位、現・静岡県テニス協会副会長)らと、新規にテニスラケット開発事業に関わる。これにより、YFGシリーズなど世界的に普及するYAMAHAラケットと共に、アオヤマスポーツは世界のプロ選手との関わりを強くしていく。アオヤマと共同開発したラケットは、ガブリエラ・サバティーニが全米オープンを制した事によっても、確かな技術が証明されている。

1979

(昭和54年)

プロ化の波

国際テニス大会との出会い

1960年代後半からプロ化の波が押し寄せ、多くのプロ選手が誕生した。そのため、全日本選手権はアマチュア選手の大会であったが、賞金制度が導入され、アマチュア、プロを問わない、名実共に日本一のテニスプレーヤーを決定する大会となった。後に、アオヤマスポーツの代表となる青山 剛(たけし)は、この頃から全日本選手権及びジャパンオープンに審判員として関わっている。

1985

(昭和60年)

メーカーとの礎

アートスポーツアオヤマスポーツ

この頃からアオヤマスポーツは浜松テニス協会の事務局として積極的にテニス業界を牽引するようになる。日本大学にてテニスの道を歩む剛は、浜松出身の松本貴志也プロのテニススクールで学んだ後、当時日本のテニス界を席巻していた東京御徒町のアートスポーツ(1967創業 現在新会社にて運営)にて修行する事となる。ここでの様々な出会いが後の大手メーカーとの人脈を築く礎となっている。

1988

(昭和63年)

奇跡のダブル優勝

ソフトテニスから硬式テニスへ

創業者 青山 勝 が国体優勝の翌年に脳梗塞で倒れる。だが、リハビリを乗り越え、まさかの国体連覇を成し遂げる。県大会でソフトテニスと硬式テニスの両方で優勝したプレイヤーは 青山 勝 のみである。大病を乗越え優勝した活躍は各方面から話題となり、奇跡のダブル優勝として様々なメディア取材を受けている。また、この頃に次世代の為にテニスの教本を執筆し、世界的に普及している「硬式テニス」が今後のテニス界を牽引していく事を示唆している。

1990

(平成2年)

新時代の訪れ

青山 剛 代表就任

再び脳梗塞で倒れた勝をサポートする為、長男 剛が浜松に戻り、28歳の若さでアオヤマの全事業を引き継ぐ。一番関わりの深いテニスを軸にする事に方針を定め、テニスの普及活動に力を入れる。より普及させる為には後進を育てる必要があると考え、浜松工業高校テニス部出身であった剛は建築測量技術を持つ学友の仲間達の協力を得て、学生向けコート整備事業に着目し事業を拡大する。数年後には、静岡西部地区の中学、高校のクレイコートは、ほぼアオヤマの施工となる。現在もアオヤマのロゴが記載されたオリジナル支柱が残る学校は少なくない。また、テニス部の部員を対象に行われるテニス講習会も、この頃から無償で始め現在も続けている。

1995

(平成7年)

人工芝コートの普及

関東事務所開設

様々な公共施設などに人工芝コートか導入されるなか、アオヤマも人工芝メーカーの協力の下、新たな技術で砂入り人工芝の施工を開始。先代から続く、浜松航空自衛隊テニスコートの整備などを手掛けている。人工芝コートは、この頃から急激に普及し、全国から施工依頼を受ける事となったアオヤマは東京に関東事業所を構え「全国対応どこへでも行きます!」の体制を整える事となる。

1997

(平成9年)

スポンサー枠の改革

ジュニア選手権大会開催

浜松テニス協会事務局として浜松花川運動公園にJTA海外派遣ジュニアテニス選手権大会を誘致。クルム伊達とデンマーク・オープンダブルスを制した藤原里華などが、ここから躍進している。また、これまでの大会はメーカースポンサーは1社のみと制限されていたが、この大会より複数のメーカーがスポンサーとなり大会運営できるよう、アオヤマが改革している。このスポンサー枠をオープンにした改革は、後のトヨタジュニアテニストーナメント、MUFGジュニアトーナメントと引き継がれ現在に至っている。

2003

(平成15年)

天覧試合サポート

静岡わかふじ国体開催

浜松市テニス協会として国体テニスを花川運動公園開催に誘致。大会初日に、テニスにご縁のある天皇皇后両陛下が浜松を訪れ、テニスを御観覧され大きな話題となった。アオヤマは、この国体と天覧試合を誘致から運営まで全面的にサポートしている。

2009

(平成21年)

よりテニスを身近へ

日本スポーツマスターズ開催

テニスに関わる第一世代の高齢化により、競技入口の減少を懸念したアオヤマは、ラケットさえあれば気軽に楽しめるスポーツである事を、広く感じてもらいたいと考えるようになる。この頃に、財団法人日本体育協会主催の「天皇陛下御在位20年記念 日本スポーツマスターズ2009」を、運営総務委員会として浜松に誘致。イベントを開催し、様々なテニスの楽しみ方の周知を試みている。

2010

(平成22年)

国際大会の運営

セカンドキャリアのサポート

浜松ウイメンズオープンの前身「浜松三ヶ日国際レディーストーナメント」を開催。アオヤマは実行委員会として運営に関わっている。 この大会は、その後、元プロ選手が運営する大会としてモデルケースにもなっている。引退後の選手により運営する事により、現役選手の声が届き改善点が見つかる。日本テニス協会に所属する元プロ選手も育ち、車椅子テニスや、パラリンピックについても学び、障害児者も気軽に参加できるイベントを取り入れている。元プロのセカンドキャリアのサポートはこの頃から始めている。

2015

(平成27年)

より本物の環境を

日本初の Green Set™ 施工

「グリーンセット」とは、オリンピックや、ATPファイナルで採用されているサーフェス(コート表面)であり、この年にアオヤマは日本で唯一の公認施工業者として、スペインのグリーンセット社と専売契約を締結している。同年、北九州メディアドームに、このグリーンセットを施工し、アジア初の施工実績を持つ事となる。オリンピックや四大大会であるオーストラリアオープンで採用されているコートでの練習は、より本物に近い環境でのトレーニングとなる為、世界基準のプレイヤーの育成と活躍の為には欠かす事はできない。

2017

(平成29年)

可能性を広げる

スポーツで差異を超えていく

様々なアプローチでの社会貢献に取り組んでいる。公益社団法人日本ウエイトリフティング協会(JWA)とのスポンサー契約も一環であり、他競技との交流は、子ども達の可能性を広げるものだと捉えている。この年の6月に開催された交流イベントにはスポーツ庁の鈴木大地長官が訪れている。また、浜松駅前の屋外スペース「ソラモ」にて自由参加のテニス体験会を開始。3歳から参加可能であり障害児者も参加している。あらゆるカテゴリーに捉われない交流を生んでいる。

2018

(平成30年)

オリンピックへの道

プロ志望選手のサポート

この年、Women’s Tennis Association (WTA) 承認の日本最高峰プレミアトーナメント、ジャパンオープンの地方開催のコート設営にアオヤマスポーツとしてアドバイス協力をしている。また、運営に関わるITFプロトーナメントを、より認知してもらう為に「浜松三ヶ日国際レディーストーナメント」から「浜松ウイメンズオープン」と改名。地方から発信する準備を整え、選手がより躍動できる環境を整えた。また選手達の為に東京オリンピックでの活躍を目標に強化合宿を開催。プロ志望選手のサポートは現在も続けている。

2022

(令和4年)

浜松から世界へ

浜松ウイメンズオープン10周年

前回大会がコロナ禍で開催中止となった「浜松ウイメンズオープン」はこの年に10周年を迎えた。しかし、この大会も無観客を視野に入れた難しい判断の中での準備となった。そして感染対策を取り一部有料の有観客での開催に踏み切った。結果として選手達からのお礼や沢山の支援を受け、地方大会の存在意義を改めて知る事となる。現在でも大会サポーターを募るセンターコート観戦パス、若手選手に活躍の場が増えるようワイルドカード選手権開催など、国際テニス連盟と交渉し様々な大会運営を試みている。運営も選手と同様に常に進化し、挑戦を継続しなければならないと考えている。

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